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はごろもの大型ビジョンといまだに出会えていない男による第3話

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  3年連続7区走りました 則岡です。 丹後駅伝の応援・サポート、また大会の運営をしてくださった学連の皆様、本当にありがとうございました🙇‍♂️ 前の日記でも書きましたが、今年は不安で今までで1番緊張しておりました。 7区の全体的なレベルは、昨年・一昨年より上がっており、本格的にエース区間の一つとして認識されたんだなといった感じでした。 一方で、自分の仕上がり度合いでいうと、ここ4年間では1番自信がなく、大丈夫かなといった感じでした。 ただ、駅伝2日前に母が、「今年新たに取り組んだ事もあるんだから、そこに自信を持って頑張りなさい」と言ってくれて、それを自分に何度も言い聞かせてレースに臨みました。 それまでの選手達の好走もあり、すごく走りやすい位置で襷が回ってきました。 以下ペース 褒めるところは、3分10秒を超えたラップが1度もなかった事でしょうか。仕上がりに不安はあったものの、調子はバチバチに合っていたのが良かったです。 あとは、始めに京大の方に前を譲ったのも良かったかなと思います。 京大の方とは全日本予選の10000mでは2秒差で、そこからの練習量では圧倒的にまけていると分かっていたので、勝つ確率は5割を切っているというのが、走る前の分析でした。 実際、2km地点で並走をやめずに我慢比べしていれば、おそらく15秒差くらいで負けていたように感じます。 ある意味、勝負から逃げた形にはなりますが、落ちる事を予想して、一定のペースで頑張り続けたのは、走る事に関する自己理解能力が高い・駅伝時の冷静さという自分の良さが出た形になったかなと思います。 悪かったところは、摂南・京大に追いついてからのレースだったかなと思います。8km以降の走りです。 かなり疲れも出ていたので、追いついてから後ろに付くという判断をしてしまいました。 7kmのラップが3分01秒という事もあり、ここはその勢いで一気に抜くべきだったなと思います。足の動きが遅い動きになってしまった要因だったと思います。 摂南の選手は、差し込みで減速しただけだったようなので、回復してからは一気に離されてしまいました。結果的にトータルタイムでも負けて悔しいです。 あとラスト3kmはどうしても克服出来ませんでした。4年間ずっと反省として、あの3kmを攻略できなかった事を挙げています。 中盤頑張るスタイルが故だとは思い...

ラスト丹後、感謝

こんばんは。6区走りました、よこたにです。 当日は応援ありがとうございました! 後半のきついところで頑張ることができました。 すがぬまも付き添いありがとう。 走りを振り返ると、丹後を迎えるまでの走れ具合的にはあと20秒はいけたかなと思います。 ただ当日、めちゃくちゃキツかった、、 いざ走り出すと最初の坂で普段より明らかにしんどくて、これはまずいなと感じました。 中盤もリズムに乗れず、ズルズルと順位を落としてしまいました。 せめて摂南の近くで襷を渡せれば未来変わってただろうな、というたらればもあり、チームに申し訳ない気持ちでいっぱいです。 ただ、スタート後の感覚的にはもっと垂れててもおかしくなかった気がします。 最低限ですが、応援してくれる皆様のおかげで最後粘ることができました。 ハギみたいに手を振ったりはしてないけどちゃんと聞こえてました。改めて本当にありがとうございました。 正直に言うと、大学生活6年目、最後の丹後を走ることができるなんて思ってもいませんでした。 ロングのみんなが好きなので引退しませんでしたが、院生になってからは走ることに学部時代ほどの情熱を注げていなかった自覚があります。 最後の関カレ前はなんとか気持ちを立て直し、1500で3分台まであと一押しというところまでいきましたが、本番は風邪で不完全燃焼、その後目標にしていた全日本予選・兵選・三商戦は諸事情で欠場になりました。 ここで一度目標を見失ってしまい、2回生のときの青野くらいやる気がなくなってました。 当時は全くわかりませんでしたが、このときは闇落ち青野くんの気持ちが少し理解できた気がしました。 もう引退した方がいいんじゃないかとか色々悩みましたが、なんとか持ち堪えて、心身ともに走れる状態のときは走る、という激甘ルールのもとですが少しずつ走る距離を戻していきました。 こんな中途半端な状態で丹後を目指していいのか、そんな気持ちもありましたが、丹後いける、一緒に丹後走ろうっていう周りの声かけが何気に嬉しくて、やっぱりもう一度頑張ろうってなりました。 選考期間中のレースでは途中で倒れるんじゃないかって瞬間が何回もありましたが、あの時本当に耐えてよかったです。 丹後当日好走できなかったところは、やっぱり自分詰めが甘いなぁと思うところです...