6年間の振り返り

角川です

滞納すんません

色々と研究室関連が重なってまして


大きいやつで言うと那須高原で2泊3日の研究会がありました


といっても僕ら学生のやることは1時間のポスター発表のみ


あとは教授陣の研究成果共有の様子を聞くだけです


学生向けではない教授のガチ研究内容の、英語で書かれたパワポを見ながら、1人あたり15分の発表をひたすら聞き続ける三日間


内容分かるかぁ!


なんの拷問?


でもいいホテルに泊まれて、うまい飯が食えて、温泉にもつかれたのでOKです


そして僕のことをよく知っている方々が聞いたら驚くかもしれませんが、全日本予選が近いということもあり朝5時に起きて那須町ランを実行してきました


今年すでに周辺で熊が目撃されていたので死ぬほど怖かったけど


なんとか生きて生還しました



閑話休題



僕のラスト関カレがとうとう終わりました


今年を振り返るついでにこれまであった6回の関カレを振り返ってみたいと思います


めちゃくちゃ長いです


暇な時に読んでください



2021年:初めての関カレ

この年はコロナの影響で10月開催でした


ずっと延期されてて、もう今年はないんじゃないかと噂されていたものの結構直前になって10月開催に決まったはずです


この年の関カレは突発的+声出し禁止+ロング駅伝直前などの要因が重なってしまいあまり重要視されておらず、大きな大会という印象を持つことなく普通の対抗戦程度の印象しか持てませんでした


でも同期の幹とか木子は出場して活躍してて、すごいなーっておもっていました。


てかそういや幹は400mで3位になってたわ今思うとやばすぎ


この年の新人賞はこいつでした


そりゃそうだ



この時のロングの実力といえば14分台は1人もおらず、15分20秒・32分30秒レベルで超エースとして一目置かれてるレベル


(なお近年

⁇?「丹後メンバーに32分30秒レベルはいらん」)


5000mはどうやって入賞するかなんて誰も考えておらず、誰が走れば丹後に影響しない程度の走りでそこまで事故らないかを中心に話してた気がします


10000mは1人とんでもない方がいて、その人が関カレ当日も10000m7位入賞してました


佐久間啓という方で、当時神戸大学医学部医学科6年生。超超超エリート


この人を一年目の僕がまだ雑魚い時に見てしまったのでいまだ勝てる気はしないなー




2022年:青野全盛期

この年はとにかく人手不足でした


昨年度までの実力者が一気に卒業してしまい、走れる人が若江(M1)さん、太一(3)さんしかおらず、その次に走れていたのが青野(2)という状況だったためこの3人にハーフ、5000、10000、3000mSCを任せるというエグさ


僕はまだ持ちタイムが16分台と35分切るぐらいなので戦力外です


でもちゃっかり3000mSCで太一さんが1位になってるあたりさすがというべきか


青野はこの時期までめちゃくちゃ調子良かったんですが、この関カレで追い詰められてどんどん全てが悪化していった気がします


関カレ直前に1週間ほど音信不通になったりして今思うとほんとに申し訳ない


一部の人間に背負わせすぎてました


この時期が僕の知る限り1番のロング暗黒期です


ですがこの直後から則岡筆頭に実力派新入生たちが受験ブランクから順調に復活し、角川の覚醒などもあり一気に活気付いていきます



2023年:福本世代参入

ここで初めて僕が関カレに出場します


前年度に急成長しており、5000と10000に出場する予定でした


しかし3月16日の兵カレで出場した5000m


ここで15分切って関カレ勢いづけよう!と走っていたものの3800m地点で突如トラック左端の縁石を右足で踏み抜くという意味わからない事故を引き起こし、右足首靭帯損傷。


これが世に言う"角川縁石踏み抜き事件"です


靭帯断裂ギリギリだった上に疲労骨折しかけており、後一歩で手術という怪我を負ってしまいました


関カレは5月24〜27日


まともに歩けるようになったのは4月になってからです


まあそこから順調に回復し、5000mに出場して8位入賞したんですけどね😏へへへ



この年はとにかく神大のための関カレって感じでしたね


コロナ後初めて声出し応援が解禁され、スタジアムで一番声が出てたのも神大でした


その熱量のおかげか、僕含めあらゆる人が上振れてた


特に3000mSCの若江佐々木ワンツーフィニッシュは美しかった。。。


神大は最終日で一気に数十点差を巻き返して見事十数年ぶりの一部昇格を決めたのでした


今年の関カレで神大は最終日強いと言われていたのはこのため


この年の関カレ飲みがありえん大騒ぎだったのは想像に難くないでしょう




2024年:萩原参入

戦う舞台は一部に変わります


標準記録が大幅に上がり、ロングで出場したのはハーフ則岡(3)、 1500m萩原(1)、10000mW藤代(4)、5000m角川(4)、3000m SC佐々木(M1)


意外と出てるな


ただ得点可能と思われていたのは太一さんだけでしたね


しかし終わってみればハーフ則岡5位、5000m角川7位、3000m SC佐々木6位。


大健闘です


この時の僕の5000mは会心のレースでした


この時を超えるレースは学内新を出した時ですらできていないです


神大公式YouTubeに動画あるので遡ってぜひ見てみてください



ちなみにこの年も僕は2月あたりに半月板をやりまして3月始めに膝の手術してます


また怪我してたんかーい


でも先生が凄腕だったのか回復も早かったので4月末の記録会で14'52あたりまでもどしました


諦めなければなんとかなる💪




2025年:HONDA・反保参入

昨年度、個々人の予期せぬ得点で上振れてはいたものの力及ばず降格してしまったので舞台は再び二部へ。


ちなみに神大と競い、神大を蹴落として一部残留した近畿大学は部員の窃盗が発覚しこの年の関カレ出場停止


翌年2026年に二部陥落してます


そして2026年関カレ二部で得点稼ぎまくった結果、神大は総合3位となり二部残留したので我々はキレていい



でもこの年の幹部はめちゃくちゃ頑張ってました


30点ぐらい一部昇格まで差があったのをあと2点まで詰めたのはこの世代の尽力あってこそです


だからこそ終わりのミーティングでの4回生たちの涙は辛かった


女子主将のなぜ昇格できなかったのか分からないという言葉は今でも耳に残っています


それを言えるだけみんな頑張って多くの種目で上振れていましたが、あと一歩噛み合わず惜しい結果に終わってしまった


これが関カレの怖いところでもある

いいところばかりでは無い



この年の僕の戦績は

10000m4位、5000m5位


展開も味方してくれた上に怪我とかもなく万全の準備をした上でのこの結果だったので、これ以上の好成績を出すことはできないだろうと自分の限界を感じた関カレでした


が、


お待たせしました時は現在に追いつき2026年


4月半ばに1週間ほど風邪で寝込み練習不足が心配されましたがなんとか体力を戻し、結果はなんと5000m3位


人生初のメダルを獲得することができました


一回生で初めて関カレを見た時、表彰台というのは自分とは一生縁のないものだと思ったのをはっきり覚えています


あの台は自分とは桁違いの実力者が立つものでどんなに頑張ったところで自分が到達できる領域ではないものであると。


しかしとうとう成し遂げてしまった


あの時活躍していた幹と木子にはっきりと敗北宣言させるまでに成長してしまった


僕は最初から実力があった訳ではないのでめちゃくちゃ嬉しかったです


最後の関西インカレを一切の悔いなく終わることができました


そして何より、去年の関カレトラックで悔し涙を流していた新谷や則岡の笑顔を見れたのが最高でした


君たちは来年もあるからまた頑張れ


スタジアムの席から見ときます




次は全日本駅伝予選ですね


満足いく練習はあまりできていませんが、できる限りの力を尽くして食らいついていく所存であります


結果にこだわらず、各々が悔いのない走りができることを祈っています🙏


頑張りましょう

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